「数」と「数字」はイコールではない。作家・浦久俊彦が語る哲学的音楽論

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結論から言ってしまうと「数=音楽」ということです。紀元前570年頃古代ギリシャに生まれ、紀元前490年頃に死んだとされ、「万物の根源は数である」と語ったとされるピュタゴラスという男がいます。ここではこの「数」を“音楽の入口”としますが、なかなかピンとこないと思います。

なぜなら現代人は「数」と「数字」をごちゃ混ぜにしているから。「数」とは宇宙の調和のことであり、有限を超えて無限の世界にまで広がっている概念。数を数えることは万人の違いに関わりなく同一なので、○○○は誰がどう見ても○が3つです。これは絶対的なもの。

しかし「数字」(3)は、あくまでも「数」(○)という概念を人間が表現するために生み出された道具にすぎないのです。例えば「数字」を使ったアンケートは一見信憑性があると思われがちですが、数字を操っているのは人間だし、切り取る場所によっていくらでも意図的に操作できてしまうので、実は全然絶対的なものじゃない。「数学」は、「数」の世界が持つ深遠さを探求するために誕生した学問といえます。

「数」と「数字」はイコールではないと言うと、「はぁ⁉」という声も聞こえてきそうですが……、ここでは数字の背後に「数」という概念があると漠然と考えてください。

古代ギリシャで考えられた「数論」「音楽」「幾何学」「天文学」から成る「四科」という学問の基礎科目があります。これをベースに「文法学」「修辞学」「論理学」が加わり「リベラルアーツ」と呼ばれる中世以降のヨーロッパの大学での教養カリキュラム「自由七科」が形成されるのですが、そのリベラルアーツで肝となってくるのが「数」です。

数学は英語ではマテマティクスですが、語源はギリシャ語のマテーマで、「学ぶ」という意味の「マンタノ」から来ています。数学者ユークリッドの『原論』の注釈者として知られるプロクロスによると、ピュタゴラス派では、マテーマを「数」と「量」に分け、それをさらに「静止」と「運動」の2つに分け、静止している数を「数論」、運動している数を「音楽」、静止している量を「幾何学」、運動している量を「天文学」とします。

この4つの分類が、いわゆる“学ぶ”ということです。現代のようにスマートフォンもポケモンGOもなかった当時の人たちにとって一番の関心事は、“自分の周りの世界がどうなっているか知ること”でした。それを読み解くための切実な思いがこの「四科」に表れています。

我々がイメージする音楽は、演奏したり聴いたりするものですが、その考え方はたかだか数百年で、本来の音楽とは天文学や幾何学と同じように知識として組み込まれていた一つの学問だったのです。つまり音楽とは、世界を読み解くためのツールであり、音を使って思考することといえます。

鍛冶屋のハンマー音により、
宇宙の調和を知る

ピュタゴラスに有名なエピソードがあります。ピュタゴラスが鍛冶屋の前を通りかかると、いくつかのハンマーが発する音が調和していることに気づく。そのハンマーの違いを調べると、重さだけが違い、その重さが、1:2、2:3、3:4というシンプルな比率だったことで、彼は同じ重さのハンマーを同じ長さの弦に吊し、弦を弾いて、調和する音程を発見した、という話です。

音の調和と比率を少し解説すると、例えば、1本の弦を弾いた音と、その弦を半分の長さにして弾いた音では、ちょうど1オクターブの違いが生まれます。この振動数が1:2。それを整数比の2:3や3:4に割ると、完全5度と完全4度の2つの美しい音程が得られる。

これはピュタゴラス以前から、「耳に心地いい」という生理的な感覚などを理由に知られていましたが、彼は音程が調和する理由に数的な根拠を与えたのです。美しい響き(調和)という目に見えないものの背後にある法則を、目に見える数値に置き換えて解明してみせた!

そして、これが宇宙の調和を知るきっかけとなります。ピュタゴラスの時代は宇宙が閉じていました。惑星や恒星が天球という球の中に張り付いて回っていると考えられていました。じゃあ、バラバラに動いている惑星はなぜぶつからないのか?宇宙は調和を保っていたからと考えたわけです。

「数」は宇宙という計り知れないものの背後にある、完璧な調和と秩序を解明した。そして、「調和」という概念に気づかせてくれたものこそ、鍛冶屋から響いてきた「音」だったのです。

「数=音楽」という考え方は広く建築にも応用されていて、例えばノートルダム大聖堂なども音楽でできているといえるんです。教会堂の長さは5度の比(2:3)で袖廊と関連しているし、側廊と主廊や、袖廊の長さと幅の関係などはオクターブ比(1:2)になっています。内陣の比は3:4、教会堂の中心である交差部分は最も完全な協和音であるユニゾン(1:1)に基づいていて、必ずどこかに協和音の比率を作る。その協和音が調和のシンボル。

万物は数であり、数=音楽です。曜日や音階の中の音数も、なぜ7なのか?五七五など日本人はどうして5を求めるのか?人間の足は2本ですが、足で行進するマーチは2拍子なのに、なぜ足で踊るワルツは3拍子なのか?など、「数」の不思議を入口にすると、音楽は果てしなく深くなります。

ピュタゴラスが語ったとされる「万物の根源は数なり」という言葉から、人々は万物の中に宿る「数」の刻印に魅せられてきました。黄金律、フィボナッチ数列など、数に潜む「美」の法則。それを、最も端的に示したのが「音楽」なのです。そして、最も協和する響きが、2や3という単純な比率から導かれるように、音楽とは、数によって宇宙の調和を解明するという思考。それは、古代からずっと人類が共有してきた叡智なのです。

「数=音」と向き合う2作品

『Phases A Nonesuch Retrospective』Steve Reich/CDジャケット
『Phases: A Nonesuch Retrospective』Steve Reich
現代という機械的な時代を「数=音」として向き合った、いわゆる現代音楽ではない一枚。現代の鬼才・ライヒの代表的な作品を集めた渾身の5枚組。

作家、文化芸術プロデューサー・浦久俊彦が語る哲学的音楽論。宇宙を解き明かすハンマーの音
『Music of Vladimir Martynov』Kronos Quartet
森羅万象すべての背後に調和があると気づくと、ロシアの現代作曲家、マルティノフが奏でる優しい響きの中にも美しい調和が潜んでいることが感じられるはず。