ジョン・カサヴェテス、伊丹十三、ウディ・アレン。ミューズと傑作を生んだ映画監督たち

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ジョン・カサヴェテス

ジャン=リュック・ゴダールとアンナ・カリーナ、フェデリコ・フェリーニとジュリエッタ・マシーナ、セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキン……。監督と女優のカップルは多いが、映画を共に作る「同志」の絆が強かったといえば、ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズだろう。

インディペンデント映画の父と称されるカサヴェテス。どんな人物だったかといえば。
大学を中退し、演劇学校に入学したところから彼の映画人生は始まる。テレビドラマの脇役やブロードウェイの演出助手を経て、映画でも俳優として注目を浴びるように。一方で、演劇ワークショップでの即興劇にインスピレーションを受け、ハーレムを舞台とする青春群像劇『アメリカの影』(’59)を俳優仲間と自主製作。アメリカでは見向きもされなかったが、フランスで評価を得た。

黒澤明もパリのシネマテークで観て絶賛したといい、ヌーベルバーグに影響を与えることになる。ハリウッドからも声がかかるが、突飛な面白さと娯楽を求めるプロデューサーと衝突。普通の人々の人生こそ映画なのだとハリウッドに背を向け、「プロの俳優」として稼いだギャラをつぎ込み、カサヴェテスいわく「趣味の」映画を撮り続けた。

そんな彼を公私共に支えたのがジーナ・ローランズ。2人は演劇学校で出会い、美しくユーモアのあるジーナにカサヴェテスが一目惚れ。彼女への飽くことなき興味が、彼の映画の原動力となった。

監督と女優のカップルは、女優が監督のミューズとして存在する場合や、先生と生徒のような師弟関係になる場合がある。例えば、ゴダールにとってのアンナ・カリーナは前者だっただろうし、バーキンを自分好みに仕立てたゲンスブールは後者だっただろう。

しかし、カサヴェテスとジーナはそのどちらでもなく、フラットな関係だ。ジーナはカサヴェテスの映画のヒロインだが、それは彼にとって彼女が世の女性のメタファーであり、ピーター・フォークやベン・ギャザラといったカサヴェテス組の俳優たちと同じように信頼できる「仲間」だったからだ。

ジョン・カサヴェテス監督作品『こわれゆく女』
『こわれゆく女』で夫婦を演じたジーナ・ローランズとピーター・フォーク。カサヴェテスは仲間とセッションを重ね脚本を練る。台詞も彼ら自身の個性を反映。Faces International / Photofest / Zeta Image

カサヴェテスの「結婚3部作」と呼ばれる初期の作品群がある。倦怠期を迎えた中流家庭の夫婦の崩壊を描いた『フェイシズ』(’68)、中年期に差し掛かった平凡な「夫たち」のリアルを描いた『ハズバンズ』(’70)、「結婚制度に違和感がある」と語るカサヴェテスが「人は何のために結婚するのか」を描いた『ミニー&モスコウィッツ』(’71)。

これらは彼自身の結婚生活から生まれたものだが、ジーナとうまくいってなかったわけじゃなく、彼女と家庭を築くことで、結婚とは何なのか、夫婦とは何なのか、が彼の大きなテーマとなっていったからだった。

映画監督 ジョン・カサヴェテス
映画監督 ジョン・カサヴェテス。Digital Press Photos / Zeta Image

そして、ジーナを通して考え続けたことがもう一つ、女性とは何か、である。カサヴェテスはジーナとの生活を通じ、「女性たちの中には荒れ狂う静かな狂気があると感じた」と言い、それが『こわれゆく女』という傑作を生む。精神的なバランスを崩していく妻と、そんな妻を狂おしいほどの愛で見守る肉体労働者の夫の物語だ。

ちなみに、この映画を作るとき、カサヴェテスは自宅を抵当に入れて借金をしたが、それでも足りず、盟友のピーター・フォークが『刑事コロンボ』で稼いだ金を提供したという。いい話だ。

Key film

『こわれゆく女』
愛し合っているはずなのに妻の精神が徐々に壊れていく。カサヴェテスは当初戯曲として書いたが、妻ジーナに「毎日これを演じると私が本当におかしくなる」と反対され映画に。夫が大勢の部下を引き連れて帰宅しワイワイと夕食を囲むシーンがあるが、カサヴェテス家でも同じだった。’74米。

伊丹十三

妻を通して女性を描くといえば、伊丹十三と宮本信子もそうだ。

あるときは商業デザイナー、あるときは俳優、あるときはエッセイスト、あるときはテレビ番組の司会者、あるときは雑誌の編集長。マルチクリエイターだった伊丹が映画監督に転身したのは51歳のとき。妻・宮本信子の父が突然亡くなり右往左往しながら葬式を経験、「これは映画になる」と、『お葬式』(’84)を撮ったのがデビュー作となった。

もともと、伊丹の父、伊丹万作は30年代に活躍した映画監督。しかるべき運命と感じるが、彼は当初は監督になる気はまったくなかったと宮本は語っている。「いろんなことをやって最後にたどり着いたのが映画監督だったのでしょうね」(雑誌『ケトル』VOL.47より)

伊丹が映画を撮り始めた理由について「妻を主役にしたかったから」と言ったのは有名な話。10作品中8作が宮本信子主演で、社会問題に斬り込んでいく女が主人公だ。一番を挙げるとすれば、「女シリーズ」の第1作、『マルサの女』だろう。

伊丹十三 監督作品『マルサの女』
『マルサの女』で宮本信子を主役にそれまでの日本映画にはなかったヒロイン像を確立。カサヴェテス同様、宮本、津川雅彦ら仲間に絶大な信頼を置いていた。©伊丹プロダクション

国税局査察部の女の話で、自身の『お葬式』がヒットし、多額の税金を払うことになり、「お金と日本人」をテーマに描くことにした。食やファッション、クルマやモノなど、伊丹は「こだわり」の人間であったことはつとに知られるが、「なぜこれはこうなっているのか」という探究心が強く、70年代には『遠くへ行きたい』というドキュメンタリー番組の制作に関わり、ワイドショーのレポーターとして事件の真相を調べたりしていた。

その進化バージョンが映画だ。しかも伊丹自身ではなく、伊丹を投影した女が真実に迫る。彼は自著『女たちよ!』の前書きで、こう書いている。「私は役に立つことをいろいろと知っている」が、これらは男たちだけでなく女たちからも教わったことであり、「私自身は、ほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない」と。

そして、宮本演じるヒロインがオカッパ頭でソバカスだらけの道化師的な女なのは、惑わされるな、本質を見抜け、という意図もあるだろう。

映画監督 伊丹十三
映画監督 伊丹十三。©伊丹プロダクション

ところで、宮本信子はジュリエッタ・マシーナに雰囲気が似ている。フェリーニは『道』(’54)で監督としての名声を得たが、ジュリエッタも女優としてブレイク。彼女が演じたのは道化師だった。

Key film

『マルサの女』
脚本を作るにあたり、伊丹は査察部の現役、OB、税務署の調査官や統括官、署長、税理士から脱税摘発の膨大な体験談を取材。同時に、パチンコ、ラブホテル、不動産、金融、経済ヤクザなどにもインタビュー。脱税テクニックのディテールを固めた。情報満載のエンタメ作。’87日/東宝/¥4,700(BD)。

ウディ・アレン

最後に、#MeToo運動の高まりでハリウッドから閉め出されつつあるウディ・アレンの話を少し。

アレンのパートナーといえば『アニー・ホール』(’77)のダイアン・キートンを思い浮かべる人が多いが、現在のモメ事の種となったミア・ファローこそ、アレンが映画を撮る理由だったのではないだろうか。恋愛体質のアレンは恋した相手をヒロインに据えることが多く、80年代から90年代半ばにかけてミアはアレンのミューズだった。

そして、彼女らしさをどう引っ張り出せばいいか熟知し、中でも『カイロの紫のバラ』のミアは傑出している。DV夫のもとでみじめな結婚生活を送っている女性が、映画の主演俳優に恋をし、その俳優がスクリーンから抜け出てきて恋の逃避行をするという奇想天外な話だ。

ウディ・アレン監督作品『カイロの紫のラ』
『カイロの紫のバラ』撮影中の一コマ。ミアはアレンと出会ったことで演技の幅が広がった。この頃は仲睦まじかったが。Orion Pictures / Photofest / Zeta Image

ミアのフィルモグラフィの中でも一番可愛く、愚かで、切ない。最新作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』(’19)もそうだが、アレンの映画にはこうした「不思議ちゃん」がよく登場する。彼はずっと「あの頃のミア」の幻影を追い続けているように思うのだ。

Key film

『カイロの紫のバラ』
1930年代のニュージャージー。映画の主人公に恋した主婦が、スクリーンから出てきた主人公と逃避行をすることに。アレンが大好きな30年代の映画にもオマージュを捧げている。2016年、アレンマニアの劇作家、ケラリーノ・サンドロヴィッチが本作を翻案し『キネマと恋人』として舞台化。’85米。