【本と名言365】田中一光|「『最良の生活者』になることが…」

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September 7, 2023 | Culture | casabrutus.com

これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。日本の伝統芸能と海外のグラフィックデザインを融合し独自の世界観を確立したアートディレクターの田中一光。彼が総合的なアートディレクションをする上で大切にしていること。

アンディ・ウォーホル/画家・版画家・芸術家

「最良の生活者」になることが、トータルなデザインに対して何よりも必要

つくば万博のシンボルマークや無印良品のアートディレクション、そして数々のポスターやロゴマークを手がけ日本のデザインに大きな影響を与えたグラフィックデザイナー、田中一光。奈良に生まれた田中は、伝統芸能が身近な環境で育ち、その後京都の美術学校に入り、演劇と宝塚のレビューに没頭し4年間を過ごした。幼い頃から日常的に接していた奈良の伝統芸能と、雅な意匠が生活に伝承されている京都での暮らしや琳派の芸術は彼のデザインに大きな影響を与えることになる。

1950〜60年代の日本ではスイスやアメリカのデザインから非常に大きな影響を受けていた。もちろん田中もその一人ではあったのだが、彼が手がけるデザインの根底には、「日本」の伝統文化が流れていた。

また、田中は優れたプロデューサーでもあった。1965年の「ペルソナ」展では、自ら事務局を買って出て、海外作家の出品交渉を自ら渡航したりもしている。そして、このトータルなデザインの考え方が存分に生かされたのが、1970年代から続いたセゾングループとの仕事だろう。芸術文化に造詣が深く、クリエイティブに対して信頼が厚い企業との長きにわたり良好な関係を結んだ。現代の私たちも親しみがある「無印良品」は、1980年代に過剰消費社会へのアンチテーゼとして生まれ、今やグローバルなブランドに成長している。

田中はスーパーやショップのデザインを手がける際、常に、地域との関係や環境との調和に重きを置く。そして時に店舗の設計について建築家に提言をすることもあったという。この言葉は、常に「生活者」と「デザイナー」両者の視点を持つ彼が貫いていた信念であり、彼の言うトータルなデザインとは、演劇を上演する作業にとても似ているとも述べた。

自身の生涯を振り返りながら、社会とデザインの接点、企業との関わり、文化についての認識等、について語った自伝。日本グラフィックデザイン史の副読本としても読める。『田中一光自伝 われらデザインの時代』田中一光著、白水社、1,263円/2004年

たなか・いっこう

1930年奈良県生まれ。京都市美術専門学校(現:京都市立芸術大学)卒業後、鐘淵紡績に入社。その後産経新聞社、ライトパブリシティ、日本デザインセンターを経て独立。63年に「田中一光デザイン室」を立ち上げる。2002年(71歳)没。