アーティスト&写真家としてのヴィム・ヴェンダース展が開催中。彼が追い求めた“夢のシークエンス”とは?

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February 13, 2024 | Art, Culture | casabrutus.com

現代を代表する映画監督ヴィム・ヴェンダースによる、デジタルアート作品と写真を中心とした展覧会が東京・中目黒の〈N&A Art SITE〉で開催されている。映画にとどまらない、幅広い分野を横断するアーティストとしての才能を、改めて感じることができる。

《少年》1991年、紙、HDプリント、36.4×51.5 cm ©Wim Wenders/Kazutomo

〈THE TOKYO TOILET〉を舞台とした最新作『PERFECT DAYS』で、主演の役所広司が第76回カンヌ国際映画祭最優秀男優賞を受賞したことで、改めて注目を集めているヴィム・ヴェンダース。その本人が「究極のロードムービー」として自ら挙げる1991年の自身の映画『夢の涯てまでも』に登場する“夢のシークエンス”から生まれたアート作品《ELECTRONIC PAINTINGS》の日本初公開の展覧会が開催されている。当時『夢の涯てまでも』のアソシエイト・プロデューサーを務め、本展を企画した御影雅良に話を聞いた。

映画『夢の涯てまでも ディレクターズカット 4Kレストア版』のワンシーン。このシーンのロケ地は箱根。ヴェンダース監督が敬愛する小津安二郎監督作品に欠かせない俳優・笠智衆(右)が、ウィリアム・ハート演じる主人公の病んだ目を診ている。©Wim Wenders Stiftung 2015

「元ザ・バンドのロビー・ロバートソンが、ボブ・ディランのロードマネージャーだったジョナサン・タプリンを東京で紹介してくれたのが、そもそもの始まりでした。それから10年ほど、LAのジョナサンの家にも何回か行っているうちにとても親しくなり、彼が友人であるヴィム・ヴェンダースの『夢の涯てまでも』をプロデュースすることになった時に、日本での撮影を手伝ってくれないかと頼まれたのです」(御影雅良)

御影雅良(みかげ・まさよし) 広島生まれ。1975年米国の出版社に勤務、84年第1回東京国際映画祭でSFXアカデミーを企画。91年『夢の涯てまでも』アソシエイト・プロデューサー、2011年〜19年文京学院大学GCI客員教授、20年〜御影英語塾主宰。著書に『ハリウッド・ビジネス―映像ビジネスの人・金・システムはどうなっているか』『ハリウッド・ビジネス2nd』、訳書に『夢の涯てまでも』のプロデューサー、ジョナサン・タプリン著『マジック・イヤーズ:魔法があった―我がロックンロールライフの回顧録』 がある。

「もともとフランシス・フォード・コッポラ監督から当時のハイビジョン技術を勧められていたヴィムに連れられて、NHKの編集室に一緒に行きました。NHK放送技術研究所から研究者たちが来て、ヴィムとHDTV(High-definition Television)デザインを担当したショーン・ノートンの作業を手伝ってくれて一旦、90年5月には夢のシークエンスが完成しました」(御影)

1991年、NHKの編集室で「夢のシークエンス」を制作するヴィム・ヴェンダース(右)とショーン・ノートン。  photo_Masayoshi Mikage

「しかしヴィムはその“夢のシークエンス”に納得できず、撮影が終わった翌91年3月、再度、東京に戻ってきました。すると1年足らずの間にソニーの技術でアナログのハイビジョン映像をデジタル化して、さらに1秒60コマの静止画を凸版印刷の技術で高精細印刷できるようになっていたのです。そこでヴィムは35ミリフィルムの映像をハイビジョンに変換してから、色を変えたり形を変えたりして、デジタル化した。走査線をピクセルに変換したので、現在の4Kや8Kにも対応できるのですが、当時はヴィムが何を求めているのか、誰にも分からなかったですね」(御影)

《走る女性》1991年、紙、HDプリント、36.4×51.5 cm ©Wim Wenders/Kazutomo

「実は彼が求めていたのは、幼い頃から頭の中で展開している自分の夢のイメージで、それを表現する手段はフィルムではなかったんですね。『自分は今までビデオを嫌っていたけど、これからは絵を描くことができる』と言って、夢のシークエンスから選んだ12点の静止画を印刷して“エレクトロニック・ペインティングス”と命名したのです」(御影)

《ELECTRONIC PAINTINGS BY WIM WENDERS》12点の作品を収める、笠智衆に宛てたサイン入りA/P(アーティストプルーフ)のケース。

ヴェンダースの12点の作品は92年に少部数印刷され、その一部は御影ら関係者へ贈られたが、『夢の涯てまでも』が初の外国映画かつ最後の出演作となった笠智衆は、それを受け取る機会がないまま93年に没した。

会場では、ヴェンダース自身が“エレクトロニック・ペインティングス”制作について言及したテキストを読むことができる。

「(略)ハイテクの粋を集めた編集室にいながら我々は実際に画家たちが訪れてきたような気がしたものだ。まず印象派の画家達が現れた。次に点描画の画家たちも登場した。同時にキュビスムや未来派の画家たちも訪れた。(中略)無論我々はそうした絵画の巨匠たちと同じように『絵を描くことができた』などと言うつもりはないし、そう考えること自体突拍子もないことだと思う。

ただ、我々は全く新しい分野に挑戦することができたし、HDTVが芸術の分野でも様々な可能性を持っていることや、それがまぎれもなく映画をより豊かなものにしていく力になり、ひいては21世紀の映像言語たり得るものであるということを現実に示すことができたことこそ誇りに思っている。いつの日か画家たちも実際にこの媒体を使った仕事ができる可能性を示せたように思う」ヴィム・ヴェンダース、書籍『WIM WENDERS ELECTRONIC PAINTINGS』(1993年/EDIZIONI SOCRATES刊)より

《Sun dries, Las Vegas, New Mexico》1983、紙、チバクロームプリント、29.8×36.4cm

今回展示されているもうひとつのシリーズが、84年の映画『パリ、テキサス』ロケハンの際に撮影した米国中西部の風景写真《Written in the west》シリーズだ。20代には画家を志しパリで学んだヴェンダースの、確かな構図や色彩感覚が発揮されており、常にロードムービーのテーマに据える「世界の果て」の姿が定着されている。

《Evening, Near Santa Fe, New Mexico》1983、紙、ダイトランスファープリント、31×37cm
《Written in the west》シリーズ展示風景。

ほかにも会場では『夢の涯てまでも』の制作当時の資料や、パリ時代の絵画も収められた画集『Electronic Paintings』の展示、NHK制作のドキュメンタリー『ヴィム・ヴェンダース イン 東京』の上映など、アーティストとしてのヴェンダースの多彩な活動を歴史的に考察する展示が行われている。

会場展示風景。

また現在開催中の「恵比寿映像祭2024『月へ行く30の方法/30 Ways to Go to the Moon』」地域連携プログラムの一環として、2月20日〜25日、27日、28日、3月1日、3月20日の10日間、〈東京都写真美術館〉1階ホールでの『夢の涯てまでも ディレクターズカット 4Kレストア版』日本初スクリーン上映が決定。2月25日の上映前には御影雅良と映画『PERFECT DAYS』企画・共同脚本・プロデューサーの高崎卓馬、本展キュレータの墨屋宏明によるトークイベントも開催される。詳細は本展の公式サイトで確認を。

ヴィム・ヴェンダースの透明なまなざし/ Wim Wenders’s Lucid Gaze

〈N&A Art SITE〉東京都目黒区上目黒1-11-6。〜2024年3月2日。12時〜17時(2月24日のみ10時〜17時)。日曜・月曜・祝日休。

ヴィム・ヴェンダース

1945年ドイツ生まれ。長編映画デビュー作『ゴールキーパーの不安』(1971)で第32回ヴェネツィア国際映画祭 国際映画批評家連盟賞を受賞。その後も『ことの次第』(1982)でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、『パリ、テキサス』(1984)でカンヌ国際映画祭パルム・ドール、『ベルリン・天使の詩』(1987)でカンヌ国際映画祭監督賞、『ミリオンダラー・ホテル』(2000)でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。1985年には、小津安二郎監督へのオマージュドキュメンタリー『東京画』を製作。写真家としても、ポンピドゥーセンターでの『Written in the west』展(1986)をはじめ世界各地で展覧会を開催。2022年、第33回高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)を受賞。 ©Peter Lindbergh