フリーダ・カーロの名言「希望の樹よ しっかりと立て!」【本と名言365】

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April 12, 2024 | Culture, Art | casabrutus.com

これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。20世紀のメキシコを代表する画家、フリーダ・カーロ。鮮やかな色彩と強烈な個性で多くの名作を残した彼女の人生は、悲劇の連続だった。そんな苦難にも挫けず、最期の時まで生きることを諦めなかったカーロが残した力強い言葉。

フリーダ・カーロ/画家

希望の樹よ しっかりと立て!

これほどに苦難を味わいながら、情熱に満ちた画家は他にいない。そう思えるほど、フリーダ・カーロの人生は壮絶でエネルギーに溢れていた。20世紀初頭、革命運動に揺れるメキシコで生まれ育ったカーロ。6歳の頃、ポリオに罹り、約半年以上にわたって寝たきりの生活を余儀なくされたことが最初の悲劇となる。病気の影響で右足の成長が止まる不自由を抱えたカーロを、職業写真家だった父ギリェルモ・カーロは献身的にサポート。リハビリを兼ねて水彩画や写真を教えはじめたことが、彼女の画家人生の道を開くきっかけになった。

その後、医者を目指してメキシコの名門校へと入学し、順風満帆な学生生活を送っていたカーロ。しかし、18歳の時、乗車中のバスが事故を起こしたことが彼女の人生を一変させた。骨盤から脊柱、右足は粉々に骨折し、腹部にはバスの手すりが貫通。瀕死の大怪我で生死の境をさまよいながらも、3ヶ月間の入院生活の末、奇跡的に回復を果たす。怪我の痛みと病院での孤独な生活を紛らわすため、鏡に映るベッドの上の自分自身を描きはじめたカーロは、次第に絵画に心酔し、本格的に画家として活動を行うことを決意する。

幾度となく病に蝕まれながらも、画家として精力的に活動したカーロ。晩年には右足の切断手術を行うほど深刻な健康状態にあった日々を彼女は日記に綴っている。最愛のパートナー、ディエゴ・リベラへの思い、病気の苦しみ、生きることへの喜び……。率直な言葉の数々は、カーロの絵に潜む痛みや死生観そのものでもある。

「出口が楽しいものであることを願いーそして二度と再び戻らないことを願ってー」

この言葉を最期に47年間の短い生涯を遂げたカーロ。さまざまな苦難を耐え抜きながらも、一心に絵を描き続けた画家が追い求めたのは、生きることへの希望の光だったのだろう。

フリーダ・カーロが晩年の10年間に残した日記。色鮮やかな絵とともに日々の赤裸々な思いが詩的に綴られる。『フリーダ・カーロの日記ー新たなまなざしー』著:フリーダ・カーロ、解説:堀尾眞紀子、訳:星野由美・細野豊、冨山房インターナショナル 8,800円/2023年。

フリーダ・カーロ

1907年、メキシコ・メキシコシティ生まれ。画家。医学を志し、国立予科高等学校に入学。1925年、帰宅途中に交通事故に遭い、大怪我を負う。療養期間中に絵を描き始め、生涯を通じて約200点の作品を制作。1938年にはニューヨークのジュリアン・レヴィ画廊で自身初の個展を開催。1953年、メキシコ国内で初めての個展をローラ・アルバレス・ブラボーの経営する現代美術画廊で開く。翌1954年に47歳で逝去。