抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.

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そろそろ書こうかと思ってたLLMMsの解説である.Large Language Model “Machines”についての議論である.

20世紀のコンピューティングでは、人間が抽象化を行い、メタルールにもとづく特徴量を発見し、それを用いた解析的な数理的プログラムによってシステムを構築してきた。例えばコンピュータシミュレーションをして仮想世界をデジタル空間に作るようなアプローチでは、仮想世界における光や音の記述などは人が解析的な定義式を用いてプログラムを作成していた。もしくはモンテカルロ法や遺伝的アルゴリズムが到達点であり、事物と事物のつながり、万物の縁起そのものはこの時点においては、人は一旦抽象化したメタルール(人間の側に存在する)を経由して、システムを構築していた。しかし、21世紀のコンピューティングではそのような解析的なアプローチと、深層学習のような統計的なアプローチは計算機上で融合され、人間がメタルールを用いてシステムを俯瞰することなしに、解析的な個別の関係(縁起)そのものに介入することができるようになった。ただしこの主体は人間ではなく、計算機である。これは、特徴量を発見するアプローチも、計算機の側に内包され、これによって、「事」を用いた統計的アプローチによって「理」が生成される。古来、仏教では人は悟りを経由してしか縁起を理解し得ないが、コンピュータは演算を高速で繰り返すことにより、縁起の記述を獲得しうる。この書き方は仏教的表現に依拠しているが、ここでいう縁起を「理論」、悟りを「習得」とすると一般化できるだろう。これにより、「理」の部分は「事」に内包され、総体としては「事」事無碍による世界記述だけが残る。これは奇しくも、昨今深層学習がE2EAI(EndtoEndAI)と呼ばれるように、End=「事」とEnd=「事」の入出力のみにあらゆる関係性が内包され、つつがなく進む世界である。データの持ちうる統計的分布の中に解決手段を含みうるのだ。ここから、事事無碍という言葉で表現できる、この東洋的華厳と現代のコンピューティング、およびインターネット世界の共有性が、僕が見ている「物化」と「自然」によるデジタルネイチャーの世界であるといえる。僕はここにEndtoEndのエコシステム、ひいては近代西洋性より始まって東洋性に至るものを見ている。

 (落合陽一・デジタルネイチャー・2018)

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